2013年5月31日金曜日

ひきこもり発生のプロセス(4)子育てのストレス

夫の帰りを待つ長い夜、L男が突然泣き始めた。時計を見ると11時を過ぎている。K子さんはあわてた。こんな時間に泣かれると近所にメイワクだ・・・

L男の泣き声は特に大きい。人のメイワクを考えない泣き方だった。K子さんのマンションは鉄筋だが、赤ちゃんの泣き声は近所に聞こえるはず・・・

K子さん、哺乳瓶を口に入れてみたがミルクは飲まなかった。おしめを調べたが汚れていない。体温を計ってみたが熱は無かった。K子さんはどうしていいか分からなくなった。





L男を抱えて部屋をウロウロするK子さん。外に出ると泣き声が聞こえるのでベランダに出られない。もうすぐ夫が帰ってくる。夕食の支度をしなければならない。イライラするK子さんは無造作にL男をベビーベットに放り出した・・・

目を覚ましたL男は、実は、お母さんのやさしい関心が欲しかったのである。家事に忙しいお母さんはL男に関心を払わない。L男はお母さんに自分をしっかりと見て欲しかった。ある意味、母の無関心がL男を欲求不満にしていたのだった。

しかし、K子さんは赤ちゃんの気持ちが分からなかった。自分の生んだ子に責められる失望感、要求ばかりするL男の自己中心性、そんな怒りばかりがわき上がる・・・

K子さんはベビーベットの上で泣き叫ぶL男を見ていると、やがて、意識がもうろうとしてきた。しばらくすると、赤ちゃんの首を絞めている自分に気がつき、ワッと叫んだ。

すぐに手を離したが、L男は無表情な顔をしていた。もう泣いておらず、ショックを受けたらしい。どれくらいの間首を絞めたのか自分でも分からない。L男を調べたが呼吸をしていたので安心した。

その時、ドアのベルが鳴った。誰か来たとびっくりするK子さん。胸がドキドキするが、しかし、夫のはずだと気を取り直し、玄関の扉を開くと、仕事で疲れた夫が何も言わずに入ってきた。

K子さんはすぐに食事の支度を始めた。L男の首を絞めた事は夫には言わなかった。何故か話す気にならなかった。言っても責めるだろうし・・・

テーブルで黙って食事する夫。その夫を居間から黙って見ている妻。いつもの気まずい沈黙が流れた。その時である。突然、K子さんは激しい憎悪で体が身震いした。夫はアテにならないと、初めて、心の底から思った・・・

「私は先に寝るね」と言うと寝室のベットにもぐり込んだ。L男の出来事で興奮して眠れないが、忘れよう、忘れようと自分に言い聞かせた。



2013年5月28日火曜日

ひきこもり発生のプロセス(3)出産

昭和53年(1978年)に長男が生まれた。新東京国際空港(成田空港)が開港した年である。原宿では竹の子族と呼ばれる少年少女が踊り狂っていた・・・

32才の出産は当時では遅い。同級生たちは二番目、三番目の子どもを産んでいた。両親や姑から初孫の顔をいつ見れるのかと言われていたK子さん。子どもを生むプレッシャーから解放されホッとする。



ターミナルビルと旅客機


K子さんはもう世間に恥ずかしくないと思った。夫の両親もK子さんの両親も大喜びである。K子さんも両親に喜んでもらえて嬉しかった・・・

生まれたばかりの赤ちゃんは、ぶよぶよした感じで、ちょっと気持ち悪かった。ニコニコした看護婦さんから「可愛い男の子ですよ」と手渡されると、K子さんは初めて自分の子供という気持ちになった。

舅は長男をL男と名付けた。夫が反対しなかったので、K子さんは何も言わなかったが、でも、本当は好きな名前ではなかった。跡継ぎができたと喜ぶ夫の両親を見ながら、K子さんは複雑な気持ちになる・・・

L男の世話をするうちに「この子は私のもの」という感覚が強くなった。「この子ならば私の気持ちを分かってくれる」と感じると、K子さんは満たされた気持ちになった。それは、自分の味方が現われたという安心感であった。

しかし、赤ちゃんの世話は想像以上に大変だった。夫が手伝わないのでK子さん一人でやらねばならない。夜泣きすると夫が眠れないので、L男を抱いて深夜にベランダに出たこともある。そして、早く起きて朝食を作って夫を送り出さねばならない。赤ちゃんに振り回されるK子さんは寝れない夜が続いた・・・

K子さんは赤ちゃんの気持ちがよく分からなかった。赤ちゃんが泣くと、どうしていいか分からなくなり、L男が自分を責めるように思えた。どんなに必死に世話をしても、L男は泣き続け、食べたものを吐き、機嫌が悪い。K子さんは、おしめを取り替える時の汚物の臭いで吐きそうになったことがある。

K子さんはL男に裏切られたような気持ちになった。L男はK子さんを理解するどころか負担にしかならなかった。決して助けにはならない。泣き叫ぶ子どもがうっとおしいレベルを越えて、自分の敵に見える時さえあった。

毎日、夫の帰りを待つK子さん。夫が仕事で大変なのは分かるが、もう少し妻の立場も考えて欲しいと思った。夫は子育てには関与せず、帰宅して食事の支度がしてないと機嫌が悪くなる。夫婦のコミュニケーションは無いままである。「夫とは心が通じない」という思いはもっと強くなった。

夫と赤ちゃんの世話に疲れたK子さん。ある日、L男を床に叩き付けたい衝動を感じた・・・




2013年5月24日金曜日

ひきこもり発生のプロセス(2)新婚生活

K子さんは円満退職。二人は夫の実家近くのマンションを購入した。夫の両親がローンの頭金を払ってくれたからである。時は昭和51年(1976)。ロッキード事件で田中角栄前首相が逮捕されて日本中が揺れていた頃だった。

専業主婦としての新婚生活は順調に見えた。しかし、その希望は姑によって簡単に崩れてしまった。姑がK子の生活に当然という態度で入り込んできたのである。

姑は、マンションに毎日のように訪ねて来ると、のグチや近所の噂話をあれこれした。グチよりも嫌なのは、ああした方がいい、こうした方がいいと、家事を上から目線で指図することだった。姑が言った通りしないと気分を悪くするので、K子さんは笑顔で従うようにした。

常識のない姑は土曜日の夜9時に突然来たことがある。K子さんは夫とベットで寝ていたのでびっくりした。姑は「あら、ゴメンね」と言って寝室のドアを閉めたが、その時間に訪問するほどの用事ではなかった。

K子さんは姑に監視されている気がした。「お母さんはちょっとおかしくないかしら」と言ったが、夫は「そうかな」と笑って取り合わない。あまり強く主張すると夫が不機嫌になるから、いつものことだが、会話はそこで終わる。

結婚前は気づかなかったが、夫は親に口答えできない人だった。姑に用事を頼まれると断ることができず、K子さんよりも親を優先した。親戚の集まりで別人のように「良い子」に変わる夫には驚かされた。



yome1.jpg
http://yomesyuutomemondai.blog97.fc2.com/



一人ボッチのK子さん。心をうちあけて相談できる友だちはいなかった。自分であれこれ考えて、心のあり方がおかしいのだと気づき、考え方や接し方を変えてみることにした。

しかし、夫はそんな気持ちとは裏腹に、帰りは遅く、新聞を読みながら食事して、優しい言葉をかけてくれたこともない。見合いの時からそうだったが、二人の間に親密な会話はなく、K子さんは夫には問題を相談しなくなった。

日曜日になると接待ゴルフに出かける夫の後ろ姿を見ながら、K子さんは「私を守る人はいない」という孤立感が日ごとに強くなった。夫とのコミュニケーションの無さを考えると気が狂いそうになる時がある。この重い感情の塊は何なのか?この感情さえ無ければ楽なのにと子どもの頃から思っていた・・・

夫はK子さんの気持ちを理解できる人ではなかった。離婚の考えもわいたが、K子さんは自分の意志で行動するタイプではない。周囲の反対を押し切って離婚する勇気は自分には無かった。子どもの頃から誰にも本心を言わないK子さん。ガマンすればいいと諦めのような感情がわいてきた。



2013年5月20日月曜日

ひきこもり発生のプロセス(1)K子さんの結婚式

ひきこもりの母親から、どのような流れでひきこもりの子どもが育つのか、そのプロセスを描いてみた。

ひきこもりの家庭は金太郎アメに似ている。どこを切っても同じような顔が現われてくる。ここで紹介する話は多くの母親に共通する人生体験である。読みながら自分のことを書いていると感じる人がいるかもしれない。しかし、特定の個人の物語はないので断っておきたい。ストーリーはすべてフィクションである。


***

今日はK子さんの結婚式。式場には、父の取引先の人たちも含めて、100人以上の人たちが集まってくれた。

時は昭和50年(1975)。当時の日本は、戦後の復興に成功して、経済大国を目指す上昇機運が国中にみなぎっていた。

そんな時代に結婚するK子さん。幸せで一杯のはずだが心には一抹の不安があった・・・

夫になる人は一流企業の社員。学歴も家柄も将来性も申し分がない。しかし、一緒にいて楽しいかというとそうでもなかった。彼は良さそうな人だが、K子さんは強く燃えあがるような情熱を感じなかった。私は彼を本当に好きなのだろうか、そう考えると不安になってくる・・・



鶴岡八幡宮での結婚式は、鉢の木にお任せ下さい。
http://konrei.net/ceremony/hachimangu/


恋愛の経験がないK子さんは、男性を愛することがどういうことかよく分からなかった。会社の中に惹かれる男性がいたが、遠くから見るだけで、親しく話したことはなかった。

今回の見合いで結婚を決めたのは、彼が好きになってくれたからである。見合いの席で彼は、大人しくて気配りのうまいK子さんを気に入ったようだった。両親も周囲の人も良い縁談だと喜んでくれた。結婚に反対する人は一人もいなかった。

そして、お互いを理解する時間も無いままに、結婚式が来てしまった・・・

本音を言えば、K子さんが結婚を決めた理由は年齢である。当時の女性は24才までに結婚するのが当たり前だった。あと2ヶ月で29才になるK子さんは結婚を焦る気持ちがあった。これ以上独身でいるのは世間体が悪いし、親がもう良い縁談は来ないぞと言ったことが、K子さんの気持ちを動かしたのだった。

今さら「私は彼を愛しているか分からない」とは言えなかった。そんなことを言っても親は理解しないし、周りにメイワクをかけるのが嫌だった。

一緒に暮らせばもっと好きになるだろう、その淡い期待だけが将来の希望になった。そして、他の問題も見ないようにしたら不安は消えた。嫌な事を考えないのは子どもの頃からのクセだった・・・

人当たりがよいK子さんは職場では評判が良い女性である。しかし、笑顔のウラには他人への緊張感が隠れているが、とにかく、あまりクヨクヨ考えないようにしている。

K子さんは、自分が人を信じない潜在的ひきこもりだとは気づいていなかった。

そして、愛のない結婚がどのような悲劇を生むかを理解していなかった。



2013年5月10日金曜日

子どもを拒絶する母親(5/5)子ども時代を奪われた母親の嫉妬

幸福な子ども時代を持てなかった母たちの、子供に対する嫉妬の気持ちをまとめてみた(特定の個人ではないので念のため)


***

子どもは私が生んだのだから自分の物、子どもは母の所有物、どうしようと私の勝手・・・


その子どもが私より幸福になるのが許せない、子どもが他の人に愛されるのが許せない、子どもが自由に生きるのは許せない・・・

しつけの目的は自立しない子どもを作ること。友だちのいない、母に従順な子どもが欲しい。私の思い通りに動く子ども・・・

親を大切にして、結婚したら家の近くに住み、公務員のような安定した仕事をもつ子どもが欲しい・・・

私が年をとったら、私の面倒をみること、私を一人にしないこと。夫とはコミュニケーションがないから、子どもはなおさら側にいてほしい・・・



f:id:red-earth:20110912173149j:image
http://d.hatena.ne.jp/red-earth/20110912/1315817271


私は一人ボッチになりたくない。子どもが自由になるのは嫌、子どもに私の人生のつぐないをしてほしい・・・


2013年5月5日日曜日

子どもを拒絶する母親(4/5)母の告白

潜在的ひきこもりの治療を受ける母親たちの気持ちを描いてみた(特定の個人ではない)。
***

悲しければ泣き、欲しければ求め、思った通り生きる人たち。自分と同じ形をした「人間」と呼ばれる人たちが楽しそうに生きる姿・・・

そんな自由な人を見ると惨めな気持ちになります。

考えてみたら、私は自分の幸福を考える余裕さえなかったようです。子どもの頃から親に気を使い、友だちに嫌われないように気配りして、世間にメイワクをかけないように生きてきました。


子どもが生まれた時に幸福になれるという淡い期待があったけれども、子どもの自由さを見ると、私はさらに惨めな気持ちになり、怒りさえ感じました。

夫?夫には私の気持ちなんて分かりません。夫と話すつもりなんかありません。

結局、私は自分が幸福になれると思っていないんでしょうねぇ・・・

私は何のために生まれたんでしょうか?