社会的ひきこもりも、潜在的ひきこもりも、カウンセリングが進むと「生きるのを諦めた自分」が見つかる。それは母親に拒絶された赤ちゃん人格である・・・
母に愛されない赤ちゃんは生きる意欲がない。しかし、幼児なので死ぬことはできない。嫌でも生きるしかないのだ・・・
こうして死ねないから生きる人生が始まる。
こうして死ねないから生きる人生が始まる。
死ねないから生きる人生はすべてが義務である。学校に行くのも義務、働くのも義務、結婚するのも義務、子どもを産むのも義務・・・
それは形を重んじる人生である。世間の批判から自分を守るための演技でもある。
http://www.city.kumagaya.lg.jp/kurashi/kenkohoken/utsu.html |
その形だけの人生を生きるのが潜在的ひきこもりである。そんな人生から逃げて部屋に閉じこもるのが社会的ひきこもりである。
どちらも自分を価値のある人間とは思ってない。本当は何もしたくないし、したいことも分からない。ただ、疲れている。
何のために生まれたか分からない。それがひきこもりの本音である。