2012年8月24日金曜日

シカゴ国際空港

8月22日にホーランドからロスアンゼルスに移動した。グランドラピッド空港、シカゴ空港、ロスアンゼルス空港までの長い旅だった。

シカゴ国際空港は大きな空港である。各航空会社の中継基地となっており、ここからヨーロッパ、アジア、国内各地に航路が延びている。東京ならば、新宿駅や東京駅にあたるだろう。ターミナルからターミナルに移るにはシャトルに乗ったり、不思議なイルミネーションのコンコースを歩かねばならない。


File:O'Hare Terminal 1.jpg
http://en wiki pedia.org/O'Hare_International_Airportより

コンコース(地下の中央歩道)



ターミナル1にグラマン F4F ワイルドキャットが展示してあった。太平洋戦争で日本の零戦と戦ったアメリカ海軍の戦闘機である。子どもの頃にプラモデルを作ったのを覚えている。






File:Edward Butch O'Hare's Aircraft on display at ORD.jpg
http://en wiki pedia.org/O'Hare_International_Airportより


シカゴ空港は色んな店やレストランがあるのでショッピングモールを歩くような楽しさがある。次のフライトがなければもっとゆっくり見たい所だった。







こんな所に恐竜の骨を置くなんて面白い発想だね。誰が考えたんだろうか。





2012年8月23日木曜日

潜在的ひきこもり(2)話せない自分

ひきもりセラピー(ひきこもり心理療法)が進むと、潜在的ひきこもりは「話せない自分」が出てくるケースが多い。話せない自分は、大抵は感情マヒした幼児である。


クライアントの母親の多くは「自分好みの子ども」を作ろうとして、あれダメ、これダメというしつけをしたのだった。母親は、それが子どもの自己表現を奪い、人格(感情、意志、考え)を否定する虐待であるとは気づかなかった。





クライアントは「話さない自分」を見せるのをとても嫌がるし、セラピストを怖がることもある。しかし、セラピストは何も言わずに側に寄り添い、話すまで待つのである。

それは、「あなたに関心があるんだよ」というメッセージを伝えるためである。幼児期に母と親しくなれなかったクライアントは初めて自分を受入れてもらう体験をする。

「話せない自分」を理解するのはひきこもりセラピーの重要なポイントである。

トレド美術館(2/2)

ガラス展示館 (Glass Pavilion) は日本人のKazuyo SejimaとRyue Nishizawaの設計によって2006年に完成した。



Photo by floto + warner
www.toledomusuam.org/glass pavilionより

入口の近くはガラス工芸品の制作を実演している。この奥に入ると古代から現代までガラスアート5000点以上が展示されている。















フランス・ルイ14世のガラスの円形浮き彫り像。ガラスメダルの中ではもっとも大きなものと言われている。














出口に飾ってあるシャンデリア。アイルランドのガラス工房の作品。







トレド美術館には日本に関係する作品があった。オランダのキャビネットは、日本の漆塗りを模倣した17世紀の作品である。





伊万里焼きに金の縁取りと銀の取っ手をつけたフランスの陶磁器。1725年頃の作品。




日本の陶芸家 Jun Kaneko のブロンズ像。2004年の作品。タイトルは Pincarton。



トレド美術館で日本人が設計した建物を見たり、日本に関係するアートを見るのは、ちょっと不思議な気持ちになる。異国で古い友人にめぐり会うような感覚である。


2012年8月20日月曜日

トレド美術館(1/2)

友人にさそわれて、私と家内はオハイオ州のトレド美術館を訪ねた。トレド市はホーランドから車で4時間くらいのところ。地図で見ると簡単だが、ミシガン州からドライブするのは大変だった。






トレド美術館は,1901年、市民の有志7人が設立したプライベート美術館である。会員の寄付で運営するので入場は無料。建物は美術館とガラス展示館がある。コレクションの豊富さから、トレド美術館は全米のベスト美術館の一つに数えられている。

美術館を訪ねた時はちょうど、ローマ帝国(2世紀)、ギリシャ、エジプト、イラクの古い宮廷の調度品を展示していた。













 宮廷展示室から絵画室に移ると、ヨーロッパの作品が沢山展示されていた。モネの作品もあった。

右の紳士像はモネの作品



 













絵画室を抜けると彫刻が展示されている。とにかく大きい美術館である。ゆっくり見たら一日では見れない広さがある。









絵画、彫刻室を抜けると、ルイ13世時代、フランシス・バレリーという貴族の執務室が復元されていた。1650年頃のシャネル城の部屋である。360年以上も前、フランスの貴族は豪勢な生活をしていたなぁと、妙に感激した。








更に奥に行くと、中世ヨーロッパの作品が展示してあり、キリスト教関係の作品が数多くあった。

















オハイオ州はクリスチャンが多いせいだろうか、美術館には宗教色のつよい絵画やステンドグラスをよく見かけた。

次はガラス展示館について。

潜在的ひきこもり(1)二つの自分

ひきこもりというと、社会に適応できず、自分の部屋にひきこもっている人をさしているが、その予備軍である社会参加するひきこもりがいる。狭山心理研究所では、それを潜在的ひきこもりと呼んでいる。



社会的ひきこもりも、潜在的ひきこもりも、人に合わせる表の自分と本当の自分の二重人格構造になっており、本当の自分を隠しているのが特徴である。ふだん無理して見せる明るい笑顔は、幼児期に親に合わせるために作ったウソの人格である。本当の自分は誰にも理解されずに、心の奥深くに埋もれている。

潜在的ひきこもりは学生、会社員、主婦、公務員など、日本社会のあちこちにいる。彼らは、心の深いところで、誰も本当の私を知らないと感じている。

本音を言うのを怖がる日本人の多くは潜在的ひきこもりの傾向がある。今後はブログでその特徴について説明していきたい。

2012年8月17日金曜日

明治学院大学とホープ大学

ホーランドの友人である中嶋牧師(アンディ中嶋)はホープ大学で日本語の教鞭をとっている。毎年夏になると、彼はホープ大学の研修にくる明治学院大学の学生の面倒をみている。今年も学生24人がやってきた。


明治学院大学の学生


二週間のグローバルマネージメント(国際マネージメント)の研修を終えた学生達は8月12日、ホーランドを出発して、シカゴに向った。彼らは、シカゴ証券取引所、連邦準備銀行、JETROを見学する予定になっている。私と家内はキャンパスまで見送りに行った。

女子学生


男子学生


明治学院大学とホープ大学は歴史的な関わりがある。明治維新の直後、日本の将来を見据えた勝海舟は二人の若いサムライにアメリカ留学をすすめた。大儀見元一郎と木村熊二である。二人は意を決して、1871年に横浜を出航。サンフランシスコから汽車でニューヨークまで行った。しかし、二人が勉強できるような学校は見つからなかった。

途方にくれた二人が出会ったのが、ニューヨークに来ていたホープ大学の初代学長フィリップス牧師である。二人のサムライ留学生の話を聞いたフィリップスは「では、私の大学で勉強しなさい。授業料と生活は私が面倒みましょう」と誘ってくれたのである。そのおかげで二人はホーランドに来ることになった。


当時の日本はキリスト教禁制の国である。ホープ大学の宿舎に住み込んだ二人は「絶対に耶蘇教徒(クリスチャン)にはならないぞ」と固く決心した。しかし、フィリップ夫妻の暖かいもてなしと、彼らの信仰と生き方に感化されて、翌年に洗礼をうけることになった。英語ができない二人が卒業するまで8年もかかったが、大儀見は卒業生代表として、日本語、英語、ラテン語で答辞のスピーチをしたという。


バスに乗り込む



1879年に帰国した大儀見と木村は、クリスチャンになっただけでなく、激動の日本社会の中で、牧師と教師として活躍した。明治学院大学を設立したのがこの二人である(二人は東京女子大学の創設者でもある)。文学者の島崎藤村をクリスチャンに導き、洗礼をさずけたのは木村熊二だった。記念写真には、明治のクリスチャンリーダーである新島襄と内村鑑三が一緒に写っている。

ミシガン州を広く旅行した若いサムライ・クリスチャンは、「将来、きっと自分たちのような日本人がミシガンに来る」と信じていた。

明治維新の日本とミシガン州ホーランドの歴史的な関わりは今も続いている。ホープ大学の中嶋先生はその架け橋を支える日本人の一人である。


ホープ大学のバス