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女子学生 |
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明治学院大学とホープ大学は歴史的な関わりがある。明治維新の直後、日本の将来を見据えた勝海舟は二人の若いサムライにアメリカ留学をすすめた。大儀見元一郎と木村熊二である。二人は意を決して、1871年に横浜を出航。サンフランシスコから汽車でニューヨークまで行った。しかし、二人が勉強できるような学校は見つからなかった。
途方にくれた二人が出会ったのが、ニューヨークに来ていたホープ大学の初代学長フィリップス牧師である。二人のサムライ留学生の話を聞いたフィリップスは「では、私の大学で勉強しなさい。授業料と生活は私が面倒みましょう」と誘ってくれたのである。そのおかげで二人はホーランドに来ることになった。
当時の日本はキリスト教禁制の国である。ホープ大学の宿舎に住み込んだ二人は「絶対に耶蘇教徒(クリスチャン)にはならないぞ」と固く決心した。しかし、フィリップ夫妻の暖かいもてなしと、彼らの信仰と生き方に感化されて、翌年に洗礼をうけることになった。英語ができない二人が卒業するまで8年もかかったが、大儀見は卒業生代表として、日本語、英語、ラテン語で答辞のスピーチをしたという。
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バスに乗り込む |
1879年に帰国した大儀見と木村は、クリスチャンになっただけでなく、激動の日本社会の中で、牧師と教師として活躍した。明治学院大学を設立したのがこの二人である(二人は東京女子大学の創設者でもある)。文学者の島崎藤村をクリスチャンに導き、洗礼をさずけたのは木村熊二だった。記念写真には、明治のクリスチャンリーダーである新島襄と内村鑑三が一緒に写っている。
ミシガン州を広く旅行した若いサムライ・クリスチャンは、「将来、きっと自分たちのような日本人がミシガンに来る」と信じていた。
明治維新の日本とミシガン州ホーランドの歴史的な関わりは今も続いている。ホープ大学の中嶋先生はその架け橋を支える日本人の一人である。
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ホープ大学のバス |