2013年7月12日金曜日

グループセラピ−2013(2)自由がない母親(1/2)

7月6日(土)にグループセラピー。参加者15名(潜在的ひきこもり13名、社会的ひきこもり1名、その他1名)。

グループセラピーは9時から3時半まで。しかし、ほとんどの人が7時まで残り、お互いに語り合っていた・・・

参加者は、世間が理解しない母の問題に悩む人ばかり。何を言っても理解してくれる仲間たち。自分の気持を話すうちに泣き出す人がたくさんいる・・・

母に愛されなかった、母が恐かった、母のグチばかり聞いた、母の側にいて苦しかった、母は私を利用したと訴えるクライアントたち・・・

母親は建前では「子どもが可愛い」という。でも、本音では自分のことで精一杯、子どものことを考える余裕はない・・・






クライアントの母親は孤独な子ども時代を送っている。誰にも愛されず、誰にも認められず、誰にも誉められたことがない。「家族」と呼ばれる孤独な集団で育てられ、結婚して、母となった女性たち・・・

母は世間の流れで結婚して子どもを産んだ。夫には何も通じない、アテにできない、そんな夫の子どもを産まねばならなかった。子育てとは一人でやるべきこと、嫌でもやるべきこと。生きるとは自由がない人生を覚悟すること。ガマンすること・・・

孤立無援の母は子どもに無意識に依存する。子どもだけは私の味方、子どもだけは私の気持を分かってくれる、子どもだけは私を助けてくれる・・・

しかし、その子どもが言う事を聞かないと腹がたつ。母から見ると子どもは恵まれている。母が持てない自由を持っている。そんな子どもが幸福になると惨めな気持になる。置き去りにされたような気持になる・・・

世間の流れに乗ろうと決めた時から自由は一番見たくないものになった。

母には自由がない、居場所がない、誰かに愛されたい・・・