2013年2月28日木曜日

グループセラピー2013(1)、2/3

グループセラピーの目的の一つは快復した人の体験を聞くことだ。今回は、男性を愛するようになった女性が参加者の注目を集めた・・・

Kさんは、孤独な子ども時代を送り、誰にも理解されない人間関係に苦しんできた。その彼女がセラピーを通して最後に学んだサバイバルの方法は「人を信頼すること」だった。

人を信じるようになったKさんは、彼女を愛する恋人を見つけて、彼と人生を供に生きる決心をした。彼がプロポーズしたからである・・・





親と絆を持てなかった人間が恋愛結婚できるという話は、グループセラピーの参加者に大きな希望を与えた。

特に、独身のクライアントは、ひきこもりが治れば異性を愛して、結婚できる可能性を見ることができた。彼らは、将来は自分も暖かい家庭を持てるかもしれないと感じた。そんなKさんの話を聞きながら涙を流す人がいた。

私は、異性を愛せるという変化が他のクライアントにこんな希望を与えるとは想像していなかった・・・


2013年2月27日水曜日

グループセラピー2013(1)、1/3

2013年最初のグループセラピー。参加者は全員が母に愛されない過去をもつ人たちだ。話題は当然、母子関係に集中する。

母は私に関心が無かった、私を嫌っていた、私が死んでもかまわなかったと告白するクライアントたち・・・

母に愛されない事実を受入れるのは死ぬほど辛い。でも、それを乗り越えると新しい世界があると体験者は語る・・・







母が愛さなかったのは自分が悪いのではないと気づくと、「私は被害者だ」という考えがはっきりする。

その認識が、誰にも愛されない絶望感から解放してくれる・・・



2013年2月14日木曜日

激動する日本社会(5)ひきこもりと家族トラウマ(3/3)


匠雅音氏のブックレビュー(最終回):匠氏は、ひきこもりは個人の問題でなく、日本の伝統文化と近代的な自我の衝突であると理解している。


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 衣食足って礼節を知る。豊かになった今、やっと日本人は礼節が語れるようになった。個人の精神活動が問題視されるようになった。心の触れあいがない人間関係は、どんなに経済的に豊かでも不安なのである。触れ合えないくらいなら、いっそ心を閉じるほうが納得できる。おそらく家庭内暴力も、ひきこもりも同根であろう。



http://vimeo.com/29351671



 本書は日本文化に、ひきこもりの原因を求めるが、慧眼だと思う。たとえば少子化についても、誰も本当のことを言わない。わずかに福岡賢正さん等が隠された風景で、真実に目を向けようとするが、多くは見たくないもの、触れたくないものは、この世に存在しないのだ、といった風潮である。真実を口にすることを、和の精神が否定し去ってしまう。
 人口の減少に加えて、経済、教育、政治、社会システムの崩壊が続きます。この崩壊の原因になるのが「システムを変えられない日本」を作る「和の文化」です。和の精神を重んじる日本社会は「自分からは方向を変えられない」という致命的な欠陥をもち、そのために社会崩壊が進んでいきます。しかも、その問題を見ない「臭いものにフタをする習慣」が問題を悪化させています。(中略)
 日本人は、今度は子どもの感情を抑圧する日本的しつけと教育を変えられずに、子どもを病気にしています。P183

ひきこもりに限らず家族問題は、我が国が本当に近代化するための通過儀礼であろう。問題は個人的なことではなく、古い日本的な行動様式と、近代的な自我の衝突である。いわば世代の衝突といっても良い。自浄作用が働かないとしたら、自然淘汰を待つ以外に、方法はないのかも知れない。団塊の世代が死んで初めて、近代的でしやかな自我が誕生するのだろう。

今まで、自分の体験談を語っても、誰も共感してくれなかった。親との抗争では、つねに子供が非難される。だから黙ってきた。しかし本書は、親子問題を精確に捉えていると思ったので、この書評では珍しく自分の体験談を書いてみた。親子間のコミュニケーション確立に失敗すると、愛情欠乏症になり愛情に飢える。親から遠ざかりながら、親の愛情を渇望する。それが実感である。 


2013年2月11日月曜日

激動する日本社会(4)ひきこもりと家族トラウマ(2/3)

匠雅音氏のブックレビュー:匠氏は自分の親子関係が、ひきこもり家庭と似ており、父と関係が悪かったと述べている。


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 子供が小さなうちは、親が子供を叱るのはしつけであり、子供の反抗は許されない。成人しても親子が衝突したとき、子供が折れるべきだと世間は言う。子供を育てるのに、親はどれほど苦労したか、それを想像せよと、世間は子供に言う。子供の人格を曲げてまで、親に従うことを世間は強制する。しかし、親の元を離れて、ほんとうに楽になった。すでに何十年もたった今でも、父親とは没交渉である。




イラスト:無気力状態で部屋に引きこもっている様子
http://www.mental-navi.net/utsu/rikai/shojo1.html



 昔はひきこもりはいませんでした。たとえば江戸時代の若者がひきこもっていたという文献は見たことはありません。それどころか、戦後、経済成長前の貧しい日本でもひきこもりはいなかった。ひきこもりが社会的な問題として登場してくるのは、80年代後半のバブル期あたり、そして新開などで取り上げられ始めたのはバブル崩壊後です。
 なぜ、ひきこもりは日本経済が破綻した頃に斯在化したのか。その問題を解くキーワードは「豊かさ」だと、私は考えています。個人を否定する日本では昔から、ひきこもりが生まれる素地があったのです。しかし、貧しい時代は、それが問題にならなかった。誰もが食べることで必死だったからです。P113

 その通りだ思う。農耕社会では、親の生き方を押しつけることが、正しい教育だった。日本は貧しかったのだ。全員が生きることに必死だった。今でこそ豊かな社会になったが、1960年代まで我が国は貧しかった。だから、和をもって生きなければ、生活が立ちゆかなかった。農耕社会では個人を殺しても、社会からの強制に従わなければ、生きていけなかったのだ。



2013年2月10日日曜日

激動する日本社会(3)ひきこもりと家族トラウマ(1/3)

インターネットの評論家、匠雅音氏が私の「ひきこもりと家族トラウマ』についてブックレビューを書いていた。匠氏はひきこもりと親子のコミュニケーション不在の問題をよく理解している・・・







匠雅音の家族についてのブックレビュー    
ひきこもりと家族トラウマ



著者:服部雄一(はっとり ゆういち)  NHK出版、2005年  ¥660-


 <ひきこもり>は100万人いると推定される。また、ひきこもりは我が国に特有の現象であり、外国では例がないといわれる。本当だろうか。いままで、ひきこもりに関して、納得できる説明に出会わなかった。しかし、本書の主張は、信じても良いように感じる。

 ひきこもりの原因は、親子関係のコミュニケーション不存在だ、と本書はいう。親が生身で子供と向き合わず、親としての役割を演じるだけである場合、子供が良い子を演じる限界を超えたとき、子供はひきこもるのだという。精確な認識だと思う。
ひきこもり現象が生じる前の時代にも、親子関係にコミュニケーションはなかった。しかし、貧しかったので、それが顕在化しなかっただけだというのも納得である。


団塊の世代である私も、実は親子関係では悩んできた。本書が書くような、夫婦仲のきわめて悪い両親に育てられた。しかも、父親は仕事熱心で、経済的な成功を成し遂げたが、子供とはまったく没交渉だった。子供に対しては、命令するときか、叱るとき以外は口をきかず、口答えしようものなら、「誰に食わせてもらっているのだ」という言葉が返ってきた。
商売で成功した父親は、家庭内では暴君だった。が、家庭の外に対しては、気持ち悪いほどに如才なかった。家族の誰かが、よその人と対立すると、父親は必ずよその人の味方になった。親は子供を守り、かばってくれる存在だとは、夢つゆ思っていなかった。父親は自分のメンツのために、子供を養育していたように感じていた。そのため、私は父親に養育費の出資者として以外には、信頼というものを持たなかった。親の経済的な庇護の元から、一刻もはやく脱出したかった。小学生の時から、父親からの独立だけを考えてきた。
 
 私のクライアントに限って言えば、ひきこもりの家庭は中流以上、親は社会的地位が比較的高く、経済的に困窮している家庭はほとんど見られません。離婚は国民平均(25パーセント)より少ない(6パーセント)が、夫婦仲が良くない(86パーセント)のが特徴です。
 ひきこもりは両親の冷たい夫婦関係についてよく語ります。こうした家庭は子どもが親に安心して甘えられる状況ではありません。親は何のために結婚しているのか分からない、親同士でもあまり会話がない、うちは仮面家族だったとは、クライアントがよく口にする表現です。
 一方で、持ち家が多く、子どもには小さい頃から個室を与え、教育にも金と時間をかける家庭が多いのが特徴です。親にはアルコール依存症の問題はありません。しかし、ほとんどの親がワーカホリック(仕事中毒)です。大雑把に言えば、父親は仕事人間、母親は専業主婦で教育熱心という図式が浮かんできます。一般的に言うと、ひきこもりの親は世間体にこだわり、子どもを甘やかすことを悪いと考える真面目な親のイメージが浮かびます。P16

 小さな頃の私の境遇も、本書がいう状況そのものだった。その上、母親は夫である父親におびえ、家付き娘であるにもかかわらず、まともに反論できなかった。裕福であるがゆえに、子供に贅沢な環境を与えているので、世間の人は父親を褒め、悪いのは子供だと思いたがる。私の場合は、血縁のない祖母が同居しており、彼女が愛情を注いでくれたので、辛うじて自立できたように思う。




2013年2月6日水曜日

潜在的ひきこもり(19)人の役にたたねばいけない(4/5)

地位も家族もあるりっぱな大人が、自分の家族よりも母親に尽くすことがある。

母の愛を受けずに育った人が、成人してもなお母を求めるのだ。もっと自分が良い子になれば、もっと役にたてば愛されるという子どもの気持ちは、年をとっても消えない・・・




700
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2010/04/nozawa22-21.html





この60代の母はずっと母の愛を求めてきた。祖母の役に立つ事で愛されようとしている母に対して、相談者の女性は「母は昔とは違う幸せな生活をしている」と言うが、この母親は家族といても満たされていない。彼女には母のさびしさが分からない・・・


不愉快な事実だが、幼児期の母の拒絶はその人の一生を支配する。それを努力や考え方だけで変えるのは難しい。カウンセリングが必要だ・・・

ひきこもりセラピーの終りはいつも、「母は俺に関心がなかった」、「母は私を愛していなかった」と気づくことである。


しかし、母に愛されなかった事実を受入れると、クライアントは新しい人生を生きることができる。それは、母を無意識求める人生からの解放であり、新しい人間関係を築くことでもある。




2013年2月5日火曜日

リムジンバスの中で

2月3日、成田空港に到着。川越へのリムジンバスの中、隣の席に若いお母さんとよちよち歩きの赤ちゃんが座る。

バスの中の赤ちゃんは、泣いたり、騒いだりする。周りのメイワクを心配するお母さんは必死の世話。おむつを変えたり、哺乳瓶を口にいれるが、赤ちゃんの機嫌は治らない。

赤ちゃんはやがて、私が見ているのに気づき、じっと見るようになった。それは、写真のように、大人を見つめる赤ちゃん特有の視線である。赤ちゃんは私に見られているのに気づくと大人しくなった。赤ちゃんは関心が欲しかったのだ・・・



白い背景で隔離面白い幸せな赤ちゃん ストックフォト - 8464478
http://jp.123rf.com/photo_8464478_funny-happy-baby-boy-isolated-on-white-background.html



しかし、お母さんは子どもの気持ちが分からないようだった。赤ちゃんにむりやり外の景色を見せたり、ぬいぐるみと遊ばせようとした。赤ちゃんが、お母さんがメールを見ている携帯に触ろうとすると、「ダメって言ったでしょ」とポケットに入れた。

お母さんは赤ちゃんの目を見なかった。赤ちゃんがチラと見る度に母親は視線を避けるのである。そんな時、赤ちゃんは私の方を見て、私たちはお互いに見つめあった。私は赤ちゃんが拒絶を感じているのが分かった・・・

母親に理解されない赤ちゃんはイライラして、お母さんは思い通りにならない子にイライラする・・・

その時、私はひきこもりクライアントの言葉を思い出した。「母は僕の目を見なかった」、「母は私が邪魔だったんです。ワガママ言う度にムシしました」、「母が私の気持ちを理解する能力はなかった」である。

バスの中のお母さんを観察すると、子どもがひきこもりになるプロセスを理解することができた。お母さんは、哺乳瓶を落とさないように注意するが赤ちゃんの目は見ない、赤ちゃんが何か求める度にムシする、母の関心を求める赤ちゃんにオモチャや他の気晴らしを与えて独りで遊ばせようとする。一言でいうと、お母さんは赤ちゃんと関わろうとしないのだ。

母に関心を持たれない赤ちゃんはもうすぐ感情表現を止めるだろう。そして、生きるために、母(人)に合わせた自分を形成する。それは自分を殺して生きるひきこもり生活の始まりである・・・

赤ちゃんを見ながら、私は心の中でつぶやいた。赤ちゃん、諦めないで。あなたを理解できる人はいるんだよと・・・




2013年2月2日土曜日

クロス・カントリー・スキー

友人に誘われて、初めてクロスカントリースキーに行った。テクニックは、スキーで雪道を歩くだけなのでとても簡単・・・







ホーランドの郊外にあるピジョン・クリーク公園は美しい銀世界だった。雪は上質のパウダースノー。天気は快晴。申し分なし・・・







森の中でキツツキの穴を見つけたよ。キツツキは木を掘って中のムシを食べるそうだ。







森の奥に進むと雪の静けさが周りを支配した。これは神が創造した森だと思うと、神の存在を近くに感じた。不思議な気持ちである・・・